鳥取県米子(よなご)市。
ここ米子は「山陰の大阪」と呼ばれており、昔から山陰地方の商業・交通の要所でした。その米子に「つるだや」が生を受けたのは大正14年4月15日のこと。隣町の淀江(よどえ)から来た鶴田定蔵が裸一貫で創業した、小さな和菓子屋でした。
米子の特性を言い表す言葉に「逃ぎょい逃ぎょい(逃げよう逃げよう)と米子に逃げて、逃げた米子で花が咲く」というものがあります。どこの町・村からの流入者でも受け入れ、開放的な風土であることがよく分かる言葉です。又、東側には「伯耆富士」と呼ばれる霊峰・大山(だいせん)を擁し、北側には雄大な日本海を臨むという豊かな自然に囲まれている場所でもあります。
そんな米子で「つるだや」は「皆様に美味しい菓子を食べて頂きたい、そして喜んで頂きたい」という一心で菓子作りに励んで参りました。私は菓子という物は嗜好品だと思っています。人が生きていくうえで、必ずしも食べなくてはいけない物ではない。だからこそ、食べて頂く方に喜びや楽しさを感じて頂き、心が豊かになって頂ければならないのです。 その為に「つるだや」は、最良の原材料・技術で作る最良の菓子をこの山陰・米子から皆様にご提供させて頂きます。
皆様の喜び・楽しさは私達の喜び・楽しさでもあるのです。