<こんぺいとう>は、砂糖菓子のひとつで
その名の由来はスペイン語の「Confeito」(コンフェイト)からきています。
1300年余りの歴史ある奈良の<こんぺいとう>=「奈良こんふぇいと」と名付けました。
=こんぺいとうの歴史=
1543年(天文12年)にポルトガル人が日本にあらわれたことから南ヨ-ロツパの影響を受けた「南蛮文化」が開花しました。
種子島に漂着したポルトガル人達はキリスト教の布教を目的にした宣教師と通商の拡大を目指した貿易商人であつた。その6年後の1549年(天文18年)には,ザビエルが鹿児島に到着遅れること20年,フロイスは永録12年(1569年)に織田信長に会つておりそのときの献上品が「コンフェイト」なのである。ところが,寛永16年(1639年)江戸幕府は,キリスト教の禁止を徹底させようとポルトガル船の来航禁止的とした鎖国令を出すのである。これにより,コンフェイトの輸入が一時とだえたが、唐人によつてその製法が再び伝来され、日本人が自らの技術として製造し、江戸時代末期に手づくりされていたこんぺいとうは、明治の後期になると少しずつ機械化されていきました。
=作り方(こんぺいとうは1日1ミリ)=
「こんぺいとう」は専用の大きな鉄釜(直径180㎝、重さ800㎏)を時計周りで1分間に2回、ゆっくりと回転させながら芯になるグラニュー糖に蜜をかけ、混ぜ合わせながら作っていきます。一日1ミリしか大きくならないこんぺいとうは、15ミリの粒を作るのに約2週間、手間ひまかけてつくられます。釜の傾斜角度は30度から40度、粒の大小により角度は変えられるようになっていて、職人さんはこの微妙な角度を覚えるのに3年はかかるそうです。製造には熟練した職人さんの技が必要です。物理的な法則で、最終的に角の数はおよそ24個になるそうです。なんとも不思議なお菓子です。