チリメンじゃこと実山椒を、
何気なく一緒に炊いたのが始まりです。
ちょっと昔。今からだいたい、五十年ぐらい昔。京の家庭で普段から親しまれていた、チリメンじゃこと実山椒を、上七軒の料理人・晴間保雄がいっしょに炊いてみたのがはじまりでした。料理人の勘が引き
合わせた、海の幸と山の恵みのおいしい出会いでした。
手作りの「チリメン山椒」は台所で生まれました。
それは、親しいひとへの手みやげでした。
昔は手みやげといえば、買うものではありませんでした。家で作ったり、沢山穫れたものを“お裾分け”する感覚で、持っていくのが当たり前でした。はれまの“チリメン山椒”は、最初から「商品」として生まれたものではありません。初代が台所で作り、親しいひとに配っていたものでした。
おいしい!そんな声に応え、また炊いては配る…
「チリメン山椒」は界隈で評判になりました。
初代・晴間保雄は“チリメン山椒”を売ったことがありません。持って行った先々で「おいしい!」「またつくって!」と、もらった人や食べた人たちが喜んでくれるのがうれしくて、せっせと炊いては、親しいひとへ配り続けました。顔見知りの舞妓さんや芸妓さんもその味を大そう楽しみにしてくれました。