甘口で華やかな香り。あまり酒に馴染みの無い方へ、どうぞ「初めての酒」として。イメージはこう。とある寿司屋に女性社員が上司に連れられて訪れ、勧められるがままに口にしたその酒への感想。「日本酒って、思ったよりおいしい。」
==田をさがし求めた==
たった3kg。しかし可能性を秘めた3kg。「亀の尾という米を栽培したのだが」そうおっしゃる芦田氏から受け取った3kgの種籾から、蔵舞のすべては始まったのだ。いや、その数年前からすべては混ざり合っていたのかもしれない。
平成12年の秋。当社竹野酒造の或る地、弥栄町在住の郷土史家・赤米博士の芦田行雄氏は、幻の米と呼ばれる亀の尾を当社に持ち込まれた。酒造りにおいては、3kgの米では何もできないため、1反の田を作ってもらえる農家を探すこととなる。
そして、祭り晴という品種を育てるための協力農家(この取組みについては後述)としてお世話になっていた地元の吉岡邦雄氏に、この亀の尾を託すこととなった。吉岡氏はこれを遡ること約4年前、平成8年頃からの協力者である。人と人との混ざり合いが、より色濃くなった瞬間。
次年度春より1反の田で栽培が始まった。夏の出穂期には鮮やかな白穂の田が広がり、期待に胸を膨らませるには十分すぎる光景であった。しかし、秋になって目の当たりにした光景は、田一面に広がる赤や黒の穂だった。所謂、赤米・黒米である。
==蔵舞は誕生を見た==
赤や黒の穂、これらを1本1本抜き穂することとした。そしてついに、吉岡邦雄氏の労苦の甲斐あって約300kgあまりの亀の尾が収穫できたのである。
翌年の種籾を残し、残った玄米で試験醸造を開始する。初めて仕込む米であり、困難な試行錯誤の繰り返しは覚悟の上であった。その上で精米歩合は原型精米できる60%とし、酵母は自家酵母を使用、純米酒とすることを決める。そして搾られた亀の尾は、甘口で、かつキレのよい旨味のある純米酒であった。この味わいを受けて、翌年仕込む亀の尾 純米酒に何と命名するべきか?頭を悩ませたが、ここは日本酒の原点に回帰することを考えた。
古来より伝わる日本酒は「純米酒」である。そのため、伝統と技術精神を守り、未来につなげる意味を込めて命名しよう、と。
蔵という字は、読んで字の如く貯えるという意味がある。そして舞は舞うことではなく、転じて伝えるという意味を持っていることから、古の造りの技術を貯え、伝える意味を込めて、蔵舞と名付けた。かくして、純米酒 亀の尾蔵舞は、その誕生を見たのである。
翌年から、地元の梅田直一氏に栽培を依頼し、亀の尾を4反耕作。平成14年には亀の尾蔵舞の本格発売が始まった。その後、本田進氏により無農薬栽培、当蔵頭の藤原薫氏、岡本毅氏らにより亀の尾の栽培が続いており、平成22年、8作り目の発売となった。亀の尾の種籾を受け取ったあの日から、いや、それよりもずっと以前から、人と人とはただつながっていたのではなく、混ざり合っていた。
その後2010年、平成22年春季 全国酒類コンクール純米部門に応募したところ、第1位を獲得。続いて2012年春、ワイングラスでおいしい日本酒アワード2012年にて金賞を受ける。
同春、次の仕込みに向け協力農家が加わった。京丹後市・網野町の梅田和男氏、同弥栄町の久江康幸氏、田畑信夫氏。舞鶴の本田進氏は、子息の本田良直氏へとバトンタッチされ、亀の尾の輪が徐々に広がりつつある。平成24年は、10作り目の節目の年でもあった。