鳥取県東部で最古の酒蔵である中川酒造の創業は、1828年(文政11年)、鳥取池田藩の城下・立川村において醸造業を開始したことにさかのぼります。これ以来、名字帯刀を許され、茶道・華道の師の頭文字をとり、中川性を名乗るようになりました。
日本海に面したこの地域は、冬は非常に寒く、また、日本海にそそぐ鳥取県の三大河川のひとつである千代川水系の良質の水に恵まれているなど、酒造りには適した条件が揃っていました。
創業当時より『正田屋』という屋号で酒を販売していましたが、大正時代に入り、おめでたい謡曲である『枕慈童』の一節、『具一切功徳、慈眼視衆生。福寿海無量、是故応頂礼』より『福寿海』という言葉をとり、美酒による不老長寿を願って清酒ブランド名として命名し、1814年(大正3年)にリリース。以来、中川酒造の代表的な銘柄として広く知られることとなりました。
その後、1927年(昭和2年)には全国清酒品評会において、鳥取県内の蔵元の中でいち早く優等賞を受賞するなど、その品質が高く評価されていきました。