「わさび栽培の歴史」は「わさびの門前の歴史」でもあります。
わさびの門前は私で17代を数えるのですが、ひとくちに17代と言っても約400年間、先人たちが大変な苦労を乗り越えてきてくれた賜物だと日々感謝しています。
およそ400年前の慶長年間(1596~1615)の頃、有東木の村人が、わさび山(写真左)の渓谷一面に自生しているわさびを採って、今も残る「井戸頭」(写真上)という湧水地に試しに植えたのが、わさび栽培の始まりだと伝えられています。 そして「井戸頭」に植えたわさびが繁茂したため村人達にわさび栽培が広まリ現在に至っています。
慶長12年7月(1607)、大御所として駿府城に居を構えた徳川家康公にわさびを献上したところ、家康公は、ことのほかわさびを愛好し、門外不出の御法度品として珍重したと伝えられています。
延享元年(1744)伊豆天城より、シイタケ栽培の師として有東木に来ていた、板垣勘四郎が帰郷の際、恋仲になった有東木村の娘から、お礼としてひそかにお弁当箱にわさび苗を入れられ、伊豆に持ち帰り栽培したのが伊豆でのわさび栽培の始まりだと伝わっています。
有東木には現在79件の民家があります。お寺に残っていた過去帳は昭和初期の有東木の大火で焼失してしまったものの、墓碑銘をたどっていくと私の亡くなった祖父が15代目にあたり、有東木で2番目に古い家だと言う事がわかっています。
現在、約50軒ほどの農家がわさびを栽培していますが(その中で唯一、専業でわさび栽培をしているのは門前だけ)、1番古い家がわさび農家でないため、有東木で一番古いわさび農家と認められています。 有東木はわさび栽培発祥の村、ゆえに日本最古のわさび農家と名乗らせて頂いています。
これからも、18代・19代と日本の大切な食文化として残していけるよう、私も先祖に負けないように、わさび田を大切に守って行きたいと強く思っています。