<古酒の歴史>
日本酒の古酒の歴史は古く、鎌倉時代から存在しており、貴重な酒として飲まれていたという記録が残っている。
例えば鎌倉時代、日蓮上人様のお手紙の中に「人の血を絞れるが如き古酒...」という記述がある。
元禄時代の文献には、「古酒で酔いたる時は、祇園祭のごとく...」という記述もあるなど、広く古酒が飲まれていたことがうかがえる。
このことからも、歴史上証拠のある期間だけでも、約500年余りの流れがあり、文化として定着していたと云える。
しかし明治から昭和の戦時中、古酒は重い酒税のためにいったん姿を消す。そしていつしか忘れられた酒となり、人々の記憶から消えていくことになる。
<古酒と善次>
田園が広がり、長良川の支流が流れる岐阜市北部の片田舎で、
天保6年(1835年)に創業した当蔵は、裕福な地主の酒蔵ではなく、
地主から米を買付けて酒を造る、いわゆる商人系の造り酒屋だった。
六代目の白木善次は、昭和40年代に若くして先代から家業を任される。当時は、地元の酒で晩酌するのが当たり前。
ビールやワイン等ほとんどなく、地酒が売れて当然の時代であった。
やがて一般家庭にテレビが普及しだした頃、大手酒造りメーカーのTVCMが流れた。そして地元の酒屋に大手メーカーの酒が並ぶようになると、今まで売れていた地酒がしだいに売れなくなってきた。
このままでは、うちのような小さな酒蔵はやっていけなくなる。
そう考えた六代目は蔵の独自化について考え始めた。そして、たまたま蔵の片隅に忘れられていた一升ビンを見つける。
4、5年は経っているだろうかー
恐る恐る封を切ってみた。黄金色の美しい色合い。口に含むと、一年で飲む日本酒とはひと味もふた味も違ったものだった。その次の日から、試行錯誤が始まった。
<復活への挑戦>
どのような酒を造れば、味わいの深い古酒を造ることができるのか?
文献も探してみたが、醸造方法には触れておらず、造り方がわからない。それならば、手間はかかるが毎年色々な酒造りにチャレンジし、その結果を何年もかけて検証していくしかないー
古酒復活への挑戦が始まったのは昭和46年であった。
今年は純米酒の甘口のものを造ろう。
来年は吟醸酒の辛口のものを造ろう。
毎年、何種類か造っては売らずに熟成していく。そして5年後10年後の結果を見ようという気の長い酒造りが始まった。
古酒は時間が育てるものでもある。