創業延元二年(1337年)、
岡崎城から西へ八丁(約870 m)の 距離、東海道街道筋に佇む、まるや八丁味噌。
醸造業から始まり、江戸時代から始めた八丁味噌造りの伝統の技と味を 頑なに守りながら、今日もその歴史を刻み続けている。
今も昔も石積み職人達が、土の壁の蔵の中で、6尺の杉の桶を使い、3トンの石を人の手で積み上げる八丁味噌の石積みの技。
江戸時代から続く、昔ながらの伝統製法を守り抜き、大豆と塩と水のみを使う。そして二夏二冬じっくり寝かせることにより、大豆の旨みを逃がさない、硬い味噌、昔と変わらぬ伝統の味の『八丁味噌』ができる。その間に人の手は一切入らない。
自然の摂理に従う。これも伝統。
八丁味噌の名は、愛知県岡崎市の岡崎城から西へ八丁(約870メートル)の距離にある八帖町(旧八丁村)に由来しています。この地は、矢作川の舟運と旧東海道が交わる水陸交通の要所でした。
江戸時代には土場(船着き場)・塩座(塩の専売)があり、舟運を利用して原料の大豆や塩を調達し、味噌の出荷ができました。
また、矢作川の良質な状流水にも恵まれ、八丁味噌造りの条件が揃っていました。
延元二年(1337年)八丁の地で開祖弥治右衛門が醸造業を始める。戦国時代には徳川家康の兵食となり珍重されました。
現在は世界20カ国以上に、「Hatcho Miso」の商品名で輸出もしています。