山口春帆楼下関本店 | 惣菜・食材・調味料・その他 |

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【惣菜・食材・調味料・その他】

春帆楼下関本店

☎083-223-7181

営業時間/11:00〜 22:00

名店情報

店 舗

春帆楼下関本店

種 類

惣菜・食材・調味料・その他

住 所

山口県下関市阿弥陀寺町4-2

電 話

083-223-7181

営 業

11:00〜 22:00

店休日

無休

当店いちおし商品

とらふぐ料理セット

発送可

19,440円~

春帆楼のふぐ刺しとふぐちりがセットになったふぐ料理セット4人前。はじめての方に...

お店リンク(URL)

春帆楼下関本店 の ご紹介
初代内閣総理大臣、伊藤博文が愛した
日本のふぐ料理公許第一号の老舗ふぐ料理店。
本場下関のふぐの味を全国各地でご用意しております。
品質にこだわったとらふぐを是非ご堪能ください。

ーー安全な食材で他社との差別化を強化ーー
原産地が分かるトレーサビリティに着手。春帆楼では、2008年より自社スペックの養殖ふぐの生産の開発、原産地が遡れる仕組み(トレーサビリティー)に着手しました。安全な食材を安定的に供給し、他社との差別化をはかることでオンリーワンの素材をつくりあげることに挑戦し続けております。
また、春帆楼ではお客様においしいふぐをお届けするため、養殖ふぐの加工において20項目の厳しい基準を設けております。
春帆楼はじまりの物語「玄洋とみち」
春帆楼の歴史は、古くは江戸時代まで遡ります。
江戸時代の末、豊中中津(大分県)奥平藩の御殿医だった蘭医・藤野玄洋は、自由な研究をするために御殿医を辞し、下関の阿弥陀寺町(現在地)で医院を開きました。専門は眼科でしたが、長期療養患者のために薬湯風呂や娯楽休憩棟を造り、一献を所望する患者には妻・みちが手料理を供しました。
玄洋がこの地を選んだのは、隣接していた本陣・伊藤家の招きによるといわれます。当時の伊藤家の当主・伊藤九三は、坂本龍馬を物心両面で支援したことでも知られる豪商です。
明治10年(1877)、玄洋は「神仏分離令」によって廃寺となった阿弥陀寺の方丈跡を買い取り、新たに「月波楼医院」を開業します。春帆楼は玄洋没後の明治14~15年頃、伊藤博文の勧めによってみちがこの医院を改装し、割烹旅館を開いたことに始まります。
伊藤博文が名づけた春帆楼の名
馬関と呼ばれていた下関は、北前航路の要衝として「西の浪速」と称されるほどの活況を呈していました。下関は、討幕をめざす長州藩の拠点でもあり、奇兵隊や諸隊の隊医(軍医)として長州戦争に参加した玄洋の人柄に惹かれて、伊藤博文、高杉晋作、山縣有朋など、維新の志士たちも頻繁に出入りしたといわれます。
「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し…」と伊藤博文公が後に高杉晋作顕彰碑(吉田・東行庵)で讃えた晋作が組織した奇兵隊の本拠地が阿弥陀時(現・赤間神宮)であり、その跡地に建ったのが現在の春帆楼です。春帆楼という屋号は、春うららかな眼下の海にたくさんの帆船が浮かんでいる様から、伊藤博文が名付けました。
ふく解禁、ふく料理公許第一号店に
明治20年(1887)の暮れ、当時初代内閣総理大臣を務めていた伊藤博文公が春帆楼に宿泊した折、海は大時化でまったく漁がなく、困り果てたみちは打ち首覚悟で禁制だったふぐを御膳に出しました。
豊臣秀吉以来の河豚禁食令は当時まで引き継がれ、ふぐ中毒が増加するなか、法律にも「河豚食ふ者は拘置科料に処す」と定められていました。しかし禁令は表向きで、下関の庶民は昔からふぐを食していました。
若き日、高杉晋作らと食べてその味を知っていた伊藤公は、初めてのような顔をして「こりゃあ美味い」と賞賛。翌明治21年(1888)には、当時の山口県令(知事)原保太郎に命じて禁を解かせ、春帆楼はふぐ料理公許第一号として広く知られるようになりました。
春帆楼下関本店の商品

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